ホーム事務局通信対談企画栄光学園中学高等学校 校長 望月 伸一郎 × 栄光学園同窓会 会長 山田 宏幸

事務局通信対談企画

栄光学園中学高等学校 校長 望月 伸一郎 × 栄光学園同窓会 会長 山田 宏幸

望月校長の人柄とは?

山田

まず初めに、同窓会的には、望月校長に直接習った卒業生もいれば、田浦時代の卒業生もいますので、望月校長はどんな方なのかって言うのを、少しお話いただきたいなと思います。

望月

私は栄光学園の卒業生ではありません。1959年、東京都台東区の神吉町(銀座線の稲荷町駅近く)で生まれました。母がカトリックだったので、生まれてからすぐにカトリックの洗礼を受けました。小学校、中学、高校と全部地元の公立の学校です。栄光学園の名前を初めて知ったのは高校2年生のころ、週刊誌の有名大学の合格者高校別ランキングを見た時です。はじめて「栄光」学園と言う名前を目にしたとき、いかにも青春ドラマにでも出てきそうな校名で、正直吹き出しそうになったのを覚えています。かなり気負った名前を付けていると、そういう印象が非常に強かったです。

山田

先生は、大学は確か上智大学でしたよね。

望月

はい、大学は上智大学に入りました。ただ、そこへ行くまでに私も色々と考えることがありました。中学のころから音楽大学の先生から個人レッスンで習っていたチェロで、そのまま音大に進学したいと思っていました。でも、高校2年生のころでしたが、自分にはまったく才能がないことを思い知り、好きなだけでは続けられないと思って、自分の進路を見失ってしまいました。何のために生きてるんだろうと考えて、ちょっとした挫折感も味わいました。

その時に上智大学に進もうと思ったのは、自分がカトリックの信者であるというのもありましたけど、音楽家にならないんだったら、可能性として自分は神父になるかもしれないと思ったんですね。だったら上智大学に進学したいと考えまして、上智を受けました。

山田

ということは、大学は神父様になるための学部へ行かれたのですか。

望月

いえ、なるかもしれない、ということです。でももし神様から望まれてなるのなら、必ず道が開けると思いましたし、そうだったら最初は神学部ではなくて、色々な学問を勉強しておこうと思って、上智の法学部に入りました。入学後は法学部の授業以外にも、神学部の授業や哲学科の授業にも出たり、「カトリック学生の会」に入って色々な活動をしたりしていました。3年生のときには、その「カトリック学生の会」の会長になったんですが、たまたまその在任期間中に教皇ヨハネ・パウロ2世が来日し、上智大学への訪問がありました。上智ご滞在は早朝で、しかも時間も短かったんですが、私自身、直接教皇様にお会いしてご挨拶するという、とても貴重な機会もいただきました。握手した時の教皇様の手がすごくやわらかかったというのを、今でもよく覚えています。神父になるなら、教区司祭や他の修道会ではなくイエズス会がいいと思っていました。

ただ、ご存じのように、プロテスタント教会と違ってカトリック教会では、神父になるならば結婚はできないわけです。私には大学時代ずっと親しくしていた女性がいて、彼女のことがとても好きでした。もし結婚するならば相手は彼女だ、と思っていました。なので、どちらの道を選ぶべきか。迷いの状態がずっと続きます。結局自分では、本当に悶々として選べないまま、とにかくこんな気持ちの状態ではいますぐ修道院に入ることはできないので、とりあえず時間稼ぎだったのかもしれないけれど、とりあえずどこか企業に就職して、時間をかけて選択しようと思いました。

企業への採用はすぐに決まりましたが、その就職は本心から自分が望むことではなかったので、気持ちは一向に晴れることはありません。彼女にもずいぶん辛い思いをさせてしまいました。ただ、もう、この迷っている状態が続いているっていうこと自体が、神父になるように招かれているのではないんだ、ということにやっと気が付き、一気に肩の力が抜けて楽になりました。時間稼ぎの企業就職だったわけで、神父ではなく結婚すると決めたんなら、それを前提に本当に自分がやりたい仕事は何か、と改めて考えました。

今は建て替えられてしまった上智大学の旧2号館の3階の廊下の階段に座って、ぼーっと外を眺めている時に、「そうだ、自分は学校の先生になるんだ」という考えが降りてきました。それは本当に、ふっと本当に天から考えが降りてくるという鮮烈な瞬間でした。実はそれまで、教職単位をまったくとってなかったので、その時から教職単位を取り始め、教員免許を得るまでさらに2年かかりました。

大学での自分の同期はみんな就職し、バブル景気のはじめころだったということもありますが、国内各地や海外でバリバリ活躍している同期も多かったわけです。ふりかえって自分はここから教職単位を取り始め、しかもはたして本当に教師になれるかどうかもわからないわけで、ちょっとつらい時期でした。公立学校の採用試験も今と同じく難関と言われていましたので、なかなか先が見通せませんでした。そんなとき、こちらの栄光学園の採用試験を受けて採用していただいたということです。

山田

先生が、初めて栄光学園をご覧になった時の印象はどんなものでしたか?

望月

「広い」って言うのは勿論ですけど、最初にこちらを訪問したときの第一印象は、「生徒がみんなのびのびしている」ということでした。私は、自分自身が公立校だったこともありますけども、栄光学園のような私立の進学校では、生徒達はきっとみんなとてもおとなしく、青白くて、ひ弱であるに違いない、というよう先入観を持っていたんですけども、この広い校庭の中にいる生徒達を見たとき、完全にくつがえされました。栄光の生徒たちは実に明るくのびのびと、本当に元気そうで、逆に公立の生徒たちよりもハツラツとしている印象でした。

採用試験で面接をしてくださったのは、2代目校長の富田神父様でした。色々質問されて何を答えたかは全然覚えてないんですが、面接の最後に富田神父様は「何か私にお聞きになりたいこと、質問はありますか?」とおっしゃったんですね。そこで、私は「今日初めて栄光学園に来ましたけど、生徒達が、実にのびのびしていて、それはどうしてなんですか?」と聞いたら、富田神父さまはにっこりと笑って、「それはね。6年一貫ということにあるんですよ。高校受験のために中学3年生までに何か仕上げなければならないということはないし、ゆったりとものを考えることができる。そこが大事なところなんですよ。」と言うお話でした。当時はまだ、中高一貫という学校は数が少なく、非常に珍しかったと思いますし、栄光学園のすごく大事な特徴を聞かせていただいたなと思いました。

栄光学園のはじめての印象は?

山田

栄光のおおらかさと言うのは、私の記憶の中では先生方にもすごく表れていて、たとえばちょっとしたいたずらをしても、怒ったりもするんですが、怒りながらもすごく優しいというか、怒った時も、怒りながら何か許容しながら怒るみたいなおおらかさがある。栄光は誰でも必ずどこかに居場所があって、許容、包含してくれる同級生や先生方が必ずいらっしゃる。そういう思いがあるんですけど。それは先生、はじめて学校に来られ、それからずっと教鞭を取られて、そういうような感覚はいかがですか?

望月

それは本当におっしゃる通りで、公立中学や都立高校は一学年の人数も多く、担任や部活動の先生以外には、ほとんど話しをしたこともありませんでした。先生方の異動も非常に多かったですし、そういう意味では、自分一人がここにいてもいなくても学校には大きな変化がないというか、自分自身がいる学校の中の居場所というのは、あえて作ろうとしなければ、特になにも無かったと思うんですね。

栄光学園に来て、一番最初に感じたのは、先生方が生徒一人ひとりのことを本当によく知っている。また、そのつながりがものすごく濃密だということです。それはイエズス会教育のなかで大切にされてきた“cura personalis”という言葉「一人ひとりに心を配ること」っていうことが、他のイエズス会学校と同じく栄光学園でも創設期以来ずっと大事にされているからなんです。

学園の70周年事業をきっかけに、私自身はたくさんの卒業生の方々、とりわけひとけた台の期の卒業生の方々と直接お話しする機会がありましたけど、みなさん異口同音に栄光在学中の神父様方の思い出話を語られます。個人的に語りかけてくれたその言葉を、みなさんまるで宝物のように大切にしていらっしゃる。そうした教員と生徒との関係は、栄光学園のひとつの精神文化とし継承されていると思うんですね。

栄光学園の教育方針について

山田

次に、学園の教育方針についてお伺いします。法人合併、新校舎の完成などの時期に校長先生になられて、これからの栄光学園をどうしていくお考えでしょうか。たとえば、変えていくもの、変えないものなど、色々あると思うのですが、これからの学園の教育方針について、お伺いしたいと思います。

望月

とても壮大なお題のご質問ではありますが、簡潔に言えば、基本的な教育方針は基本的には変わりません。「栄光の理想」が生徒手帳にも書かれていますが、それはおそらく山田会長が栄光生の時代からあるものであると思います。それを一言でいえば、「仕えるリーダー」を育てる、ということです。

山田

そういう意味では、田浦時代から脈々と流れている栄光の根源的、本質的なものは基本的には今後も、変えないということですね。そのような中で、世の中が変わっていくにつれて、変えて行ったほうがいいものもあるかと思うのですが。いかがでしょうか。

望月

教育全般について概観すると、これからの教育の方向性としては、最近ではたとえばユビキタス教育っていう「いつでも、どこでも、インターネットなどを通じて、同じサービスが受けられる」教育が発展していく、とかいわれますけども、私自身は、逆にそのような時代だからこそ、中等教育の段階では人格的人間関係を基本とした教育が一番大切だと思います。

私立学校とは、どういう教育をしたいかという理想や思いが、まず最初に存在する。理想なり思いとは、ただ紙に書かれたものではなく、本気でそれを実現したいと思っている人がいるということです。その次に必要なのは、その理想に共鳴して集まる教員と生徒です。お金や設備だけがあっても学校は成立しますが、逆にそれらの条件が厳しかったとしても、教師と生徒との人格的な関係の中で、教育は充実していけます。

同じ空間の中にいること、同じ空間の中にいるということは、ただ単に言葉として伝えるということ以外の沢山の情報が、その先生から生徒に伝達されているわけです。例えば、それは声の調子であったり、表情であったり、あるいは教える間の先生と生徒の会話であったり、それがどの空間で、どの部分で教えるかって言うこと、それらの全てが子どもたちにとって、非常に重要な情報であるわけで、そういう意味では、栄光学園はイエズス会の学校として、そういった生徒と教師との人間としての繋がりといったことが学校の基本であり、一番大事なこととしていました。ですから、たとえばこれからIT化が進んでいくと、同じ空間にいなくても、ただ単に教育コンテンツだけを生徒に供給するってことでも、教育は成り立つのかもしれないけども、そうしたコンテンツベースの教育をどんどん取り入れていく、目指していくというのは、私たちの学校、イエズス会の学校の方針とは違うということです。

山田

つまり、世の中が変わろうと変わるまいと、人と人との繋がり、人として変わらない本質的なものを、変わらず大切にし続けるということですね。

望月

私はよく生徒に、一次情報にできるだけ触れなさい、と言います。一次情報というのは、二次情報・三次情報とは違って、たとえば花であったら花そのもの、あるいは樹そのもの、人そのものです。二次情報や、三次情報は、それが例えば平面的な画面の中で再現されているもの、リアルな実物から必要な情報だけを抽出して再構成したものです。人であれ、花であれ、樹であれ、どんなにリアルなものであったにしても、二次情報や三次情報では、そこから得られる情報量って言うのは一次情報より圧倒的に少ない。場合によっては、自分にとってはいらない情報が、すべて除かれています。養老孟司先生はそういうのをノイズっておっしゃっていますが。実際には私たちは、世界に向かって対峙していたり、あるいは人とコミュニケーションを取る時には、そういった自分にとってデフォルメされている部分以外の沢山の情報と当然向き合わなければいけないわけです。

おそらく人生で一番吸収力の高い十代の時に、できるだけ一次情報に触れる経験を持つこと、一見すると無駄や不必要と思われる経験の中から五感を使ってたくさんのことを吸収していくこと、これが生徒たちの、そのあとの人格形成というか、生きていく力を育んでいくことに繋がっていくんですね。幸いここの学校の中には、自然に恵まれた広い敷地があり、生徒たちはたくさんの一次情報に触れ、身体を使ってものを考えたり、ぶつかり合ったりということが文化としてあります。それは実はIT化が進めば進むほど、AIが人間に代わって行くほど、むしろ逆に大事なことになると思うのです。

山田

いくらIT化が進んだとしても、最後は人と人、触れ合えるって言うことが無いと、人間の社会って成り立たないんだろうなって思います。これまでの栄光学園の伝統も含めて、この素晴らしい校舎、敷地を活かして、先生がおっしゃられる通り、「人と人との教育」を生徒同士も創意工夫し、色々な所で出会いながら学んでいく。それも授業だけじゃなくて色々な所で触れ合いながら、色々な方に出遭って、人を学んでいくっていうこと。栄光学園と言うのは、進学校でありながら、しっかりと人間教育を行っている、そういうことを学べる学校なんだなあといつも思っていましたが、まさにそういうことなんですね。

栄光学園と同窓会との関わり

山田

このインタビューは同窓会としての企画ですので、学園と同窓会との関わりについて、少しお聞きしたいのですが、11,000人を超える会員がいる中で、社会的にも活躍をされている方も多い。一方では、優秀な生徒が多い栄光学園に対して、卒業生として、どういうふうに学園に関わっていくのが、学園として望ましいのかなあと、常に模索しながら同窓会としてもやっています。正直私の中では、とにかく学園とか生徒さんに邪魔にならないように下支えをしていくと。私はそういうスタンスでやっているつもりですし、やろうとしているのですが、卒業生の中にはもっと関わりたいという方もいらっしゃる。さらに、そこの度を超えてしまい、学園のやり方に対して、意見を言いたいみたいな人も中にはいます。同窓会としてどういうスタンスで学園や後輩に関わっていく、どういうふうに臨んでいくのが、学園として、また校長先生として望ましいとお考えですか。

望月

そうですね。在学中6年間の間に受けた教育が、大学を卒業して、実際に社会に出て行った時に、習ったことがすぐに役に立つということはあまりないかもしれない。でも、何年か経ってみると、10年とか20年とか色々な経験をする中で、はじめて在学中に習ったことの意味が分かったり、それがこんなふうに今自分の役にたっているとか、自分がこんなふうにものを考えるのはこんな体験があったからだとか分かるかもしれない。そういう意味で、学校自体はそういった卒業生の方達の中では、やはり消すことのできない記憶として残るわけで、それぞれの人生の段階において、意味づけられることができるものだと思うんですね。

基本的に私立学校の多くは、一番大事な教育方針とか校風とか文化とかいうものは変わらないものであるし、そうそう変えてはいけないものだというふうにも思っています。というのは、例えば、卒業生が学校を訪ねてくれた時に、ご自分の10年前、20年前のことを、そこで思い起こすことができる、想起することができる、そういうような機能を果たす場所でもあるのだろうなと思うからです。もちろん先ほどの話しのように、時代に合わせて変わっていかなければならない部分があるとも思うんですけど、そう意味で、卒業生の人達にとって自分の育った学校っていうのは、自分の中で立ち返っていくことができるものであるべき。そういう関係がとっても大事だろうなって思うんですね。

山田

そうですね。先生が今おっしゃって頂いたことですと、本当に同窓会として思い当たるフシがあって、脈々と流れる栄光学園の伝統は、本当に大切なんだろうなと思うわけです。それで、具体的に同窓会として関わり方、協力の仕方をどうしていくかと言うことですが、たとえばOBゼミとかいうものもありますし、それ以外にも、もう少しそれを広げて、就職の時、就活の助言をしたりもできるのかなと思います。具体的に協力の出来るところ、学園として望むところと言うのはどのような感じでしょうか。

望月

はい、いまお話しいただいたように、OBゼミとか進路ガイダンスとか、現在、学校の教育プログラムとしてある中に、同窓会、卒業生の方達のお力添え抜きにはできないことがいくつもあります。そしてそれらは、生徒自身が将来を考える時に、10年後とか20年後の自分についてのたくさんのモデルを生徒たちに示していただいているということでもあります。実に多種多様な業界でいろんな働き方をしてらっしゃる方がおられるので、同じ教室で同じ先生から学んでいたのに、これほどまでに色んなバリエーションがあるんだということを感じながら、でも、その中で共通している部分っていうのも、必ず生徒たちは感じているわけで、自然に自分の中にある栄光生としてのアイデンティティというのが形作られていくんだろうと思うんですね。

私自身も生徒と面談をしていて、例えば、宇宙工学に関心があるという生徒が、自分の周りにはそういう人がいないので実際どういう勉強をしていったらいいのだろうって言われたら、JAXAの卒業生の人に一緒に電話をして会いに行ってもらうとかと言うこともあります。そういう卒業生の人達のネットワークって言うのは、本当に学園にとって貴重な財産、宝物です。それは、今の生徒達の教育プログラムを豊かにしてくれると思います。大変ありがたいです。

山田

栄光は、卒業生の母校愛が非常に強いと思うんですね。ぜひいい形で現役後輩のために、学園のために、同窓会、OBが関わり続けられれば、ものすごくいいなと思います。栄光の生徒さんはこちらから、質のいい情報を、うまく提供できれば、自分なりに咀嚼して、取り込んで、自分のものにしてくれるんだろうなって思いますので、そういう意味では、今後、いまある形、また更に発展形があるかと思うのですが、色々とお話をさせて頂きながら、ぜひ協力をしていきたいなと思っています。

望月

はい、ありがとうございます。それから、今、山田さんとも具体的にお話を進めさせていただいてもいますけども、アーカイブですね。もう今の職員室の中は、生徒としても田浦時代をご存知の方はどなたもいらっしゃらないし、大船に移転した最初の頃の状況をご存知の先生もいらっしゃらない。一方で学園には田浦時代の写真であるとかグッズであるとか、たくさんのものが収蔵されて残っています。これからはそのラべリングや整理などの部分で、田浦の時代や移転直後の時代をご存知の卒業生の方にお力添えいただければと思っています。

山田

アーカイブのお話ですが、いずれにしても、色々な情報やものがあると思いますので、卒業生も1期でいうと83歳、84歳ぐらい、田浦時代の創設期を知っている人もだんだんだんだん年を重ねてきますので、早めにアーカイブの整理に同窓会としても当りたいと思います。今ちょうど、学園に少し遅れて同窓会のホームページをリニューアルしようとしています。そういう中で、ホームページのコンテンツを充実させるという点でも、アーカイブがうまく整理できてくると良いと思います。卒業生としては、田浦時代だけでなく、母校の全ての情報に関心がありますので、是非、一緒に進めさせていただきたいと思います。

望月

はい、ありがとうございます。ぜひお願いしたいと思います。

卒業生へのメッセージ

山田

最後に卒業生へのメッセージです。せっかくの機会ですので、いわゆる創設期から10期代くらいまでの田浦世代の卒業生たちに。それから大船時代の20期代、30期代の卒業生たちに。さらに先生が教えてこられた40期代以降の卒業生たちに。

それぞれの卒業生の世代にむけて何かメッセージやお話をいただけるとありがたいのですが。

望月

今回の創立70周年事業に関わらせていただく中で、本当に、1期生の方から始まって田浦時代に栄光生だったみなさまの母校愛の強さを感じました。そのためでしょうか、今でも物心両面で学校を支えていただいています。伝統というものがあるから、私たちは教育活動をここで続けることができると感じています。もし、何もないところにゼロから構築するということになると、とてもじゃないけど、あの当時の草創期の先生たちや生徒達と同じ努力や苦労をすることができるかというと、それは無理じゃないかと思えるぐらい、草創期の人達、生徒も先生たちも、本当にゼロから学校を作っていくんだという強い気持ちを持っていらっしゃった。創立当初は、休み時間な体育の時間には、先生も生徒も一緒になって、校庭として使う敷地の瓦礫や石ひろいをしていた、とうかがっています。先生だけじゃない、生徒も一緒になって新しい時代の学校を作っていくという強い思いが、この学校の卒業生の方々、とくに田浦世代の方々の母校愛の根底です。そして、今回の創立70周年事業で多大なるご寄付をいただきました。心より御礼を申しあげます。

大船世代の方々は、OBゼミで学校によく足を運んでいただいたり、あるいは山田会長はじめ同窓会の中核にいて、学園と卒業生との色々な橋渡し、そして同窓会、卒業生同士のネットワークの要になって頂いている世代の方達です。そういった卒業生の方達の動きとか思いとかって言うものが、同窓会そのものももちろんそうなんでしょうけど、栄光学園も支えていただいている、今の生徒たちにとってみれば、先ほどチョット申しあげたように、自分たちがここで学んだ将来像と言うものにいちばん直結していく世代でもあると思うんですね。まあ、学校と同窓会との関係が活き活きとしたものになっていくには非常に大事な繋がりであると思うので、これからの学園と同窓会との関係を発展させ、具体的な結実をめざして、ご一緒にがんばっていただければと思っています。

山田

私が昨年の5月の総会で、17期の菱沼前会長から会長を譲り受けた訳ですが、望月校長、林副校長ともまあ近い年代ですし、ざっくばらんに気さくにやりとりをできるので、我々同窓会としてもありがたいことですし、やりやすい部分もあるのかとも思っているのですが。

望月

ありがとうございます。おっしゃられる通りで、他校の例をみると、ステークホールダーのひとつである同窓会が一種の圧力団体になっていることもあるようです。同窓会の承諾がなかなか取れないので、学校が新たな一歩を踏み出すことができないこともあるようです。そういう意味では、先ほど申し上げたように、学園としての基本的な教育理念は変わらないと思いますけども、時代に合わせて変わっていく部分については、本当によくご理解をいただける世代の方たちが同窓会の中核でいらっしゃるので、大変ありがたいです。

山田

さて、それでは若い世代へのメッセージを。この3月に66期生が卒業したんですけども、先生がここに来られてから卒業生を送られて、ほぼ、卒業生の半分くらいの期に関わっていらっしゃいます。教え子たちに一言お願いします。

望月

以前から中間体操でも、歩く大会でも、様々な教科の学習でも「先生、何でこんなことをやるんですか?」「こんなことをやってどんな意味があるんですか?」とストレートに疑問をぶつけてくる生徒がいます。確かに30キロを移動するためだったら、わざわざ歩かなくても公共交通機関に乗れば、単純に目的は達成できるわけですし。

学校の中では、ただやらされているあいだは何の意味も見いだせないこと、たとえ所与の意味があったとしても、自分自身から意味づけをしなくてはならないこと、がたくさんあると思うんです。卒業してからはじめてその意味がわかる、というものもあるでしょう。

あえて自分の教え子たち、自分が教えた生徒たちに、人達に伝えたいことは、「意味は自分で考えてください」と。

山田

非常に深みのあるお言葉で。学園で学んだことの価値って言うのは学生のうちはなかなか考えきれないし、受け止められない。でも、6年間で、いろんな形で、人と人とのつながりの中で培ったものは、必ず身に付けられていて、それが、世の中に出て困った時なんかに、ふと思い出す、役に立つんですね。やはり、世の中に出て必要だし大切なのは、「考える力」や「自分で進んで行くこと」今、多くの卒業生がそうやって社会で活躍しているんだろうなと思います。シンプルだけど、とても素晴らしいメッセージですね。

さて、かなり時間も長くなりましたが、これで終わりたいと思います。ありがとうございました。