ホーム事務局通信対談企画栄光学園後援会 理事長 真島 豊 x 栄光学園同窓会 会長 山田 宏幸

事務局通信対談企画

栄光学園後援会 理事長 真島 豊 x 栄光学園同窓会 会長 山田 宏幸

会長

本日はお忙しい中、お時間をいただきありがとうございます。今日は、栄光学園を支える“後援会”の“真島理事長”とお話する時間をいただき、同窓会会員が、あまりその実態を知らない“栄光学園後援会”について、また、真島理事長ご本人について、お話を伺えればと思っています。どうぞ、よろしくお願いいたします。」

理事長

よろしくおねがいします。

会長

まずは同窓会について、少し触れたいと思います。同窓会はこの4月に71期生を迎えます。おかげさまで会員が12000人を超える大きな組織になりました。田浦時代から大船時代、大船も旧校舎と新校舎の世代になると、3世代が同居する非常に大きな組織になったのかなと思っています。

同窓会は、会員相互の親睦のため、社会のため、母校の発展のために活動することを目的としています。改めて会則を読みますと、「栄光学園出身者間の親睦をはかることに、母校で学んだ高い理想と教養を保ち、母校の発展に寄与し、社会に貢献することを目的とする。」としています。その中で親睦というのが1つ、それから母校の発展、更に社会に貢献する、その3つが同窓会活動の柱になります。後援会も長い間、学園のために、色々と寄与してきた組織だと思うんです。ただ、後援会がどのような目的でどのような組織なのか、実際には同窓生の中では圧倒的に知らない人が多いと思います。まずは、そこら辺を話いただければと思います。

理事長

栄光学園の後援会としては、栄光学園の教育・運営の方針を尊重し、学園の発展に寄与することを目的としております。ですので、同窓会の、母校の発展に寄与するという部分を取り出してきたかたちになります。構成員の人数ですが、全部で7,610名、そのうち保護者の皆さまが5,616名、実は卒業生の皆さまも964名が会員になっています。

どのような経緯でこの後援会が発足したかを紹介しますと、発足は1977年になります。これは、初代校長のフォス先生が、当時外部からの寄付を受ける受け皿が当時の学園にはなかったことがあります。今は、未来栄光基金として、栄光は直接、募金を受けることができる仕組みが出来ていますが、当時はそれがございませんでしたので、それ(寄付)が出来るような組織を作ろうと。それで1977年に発足いたしました。

したがいまして、もう46年くらい歴史のある組織になっております。その組織なんですが、積み立て方式というようなかたちで在校生の保護者が中学校2年生の4月から高3で卒業なさるまでの60ヶ月、1ヵ月に千円ずつ積み立てていただいて、ご卒業時に「後援会にご入会いただけますか」と確認をさせていただいて、ご同意をいただけると会員になることになります。100%ご同意いただける年もありますが、そうではない場合でも96%以上の保護者の皆様に、後援会に入っていただけております。

会長

入会をするということは?

理事長

積み立てていただいた6万円を入会金として、入会していただくのですが、それ以降の会費などは一切ございません。

あともう一つは、卒業生へのアプローチがあります。具体的には、卒業後10年と、卒業後28年や30年の経った丁度60歳になる頃に、「(後援会に)是非、入会いただいて、学園の維持発展に寄与しませんか?」と、入会の案内をさせていただいております。特に60歳を前にした3年間は毎年案内をお送りさせていただいておりますので、同窓会の皆様には「また来た」と思ってらっしゃる方も多いのではないかと思っています。

会長

その案内をいただいたら?

理事長

昨年度は28期~30期の皆様にご案内させていただいたのですが、卒業生の皆様がご入会いただくときには、3万円でご入会いただけるというかたちになっております。ですので、後援会の趣旨にご賛同いただけましたら、入会をいただいて、その際に入会金として3万円を納めていただいております。

会長

納められた入会金は?

理事長

後援会の目的は、学園の維持発展に寄与することでございます。ですので、入会いただいたときに後援会に収めていただいたお金は、(後援会の)運転資金を除いてすべて学園に寄付いたします。ですので、ご入会いただくということは、間接的に学園に寄付をしていると思っていただいて間違いがないです。ご入会いただくといっても、ご入会いただいた後は一切、会費等はいただきません。毎年12月に後援会だよりという会報を発行して、後援会の皆様のお手元にお送りしております。

会長

私も実は同窓会の副会長のときに後援会の活動にも関わらせていただいて、実はそのきっかけで、ようやく後援会という組織がわかったんです。それまでは、正直言って「後援会ってなんなのだろう」って。名前しか知らないくらいでした。同窓会活動にそれなりに関っている自分ですら、こんな感じですから、後援会の活動について、多くの卒業生は、多分ですがよく知らないと思うんです。改めて、理事長のご紹介で、だいぶすっきりとわかりました。ありがとうございます。

では、少し話題変わりまして、真島さんが理事長になられたきっかけお話していただけないでしょうか。

理事長

はい。きっかけですね。自分の息子が栄光の59期としてお世話になりまして。息子が入ったときに「よかったなぁ」と思ったのと同時に「わぁ良い学園だなぁ」と思うことしきりでした。入学してそう思っていたところに・・・少し、話が前後してしまいますが、保護者にとっては地区会というのがございます。当時は21地区ございました。各地区会には、地区委員というのがございます。全体の地区会は年に7回開催されていたんです。21地区ありましたので、地区委員は3年に1回、地区会のホストをします。そうすると、高2まで地区委員をすると、子どもが在学中に1~2回は地区会のホスト役をすることになります。今はだいぶ変ったと伺っています。

会長

なるほど…。

理事長

で、その地区委員になる・ならないというところから始まりまして…。あの~、その当時関根校長先生から突然電話を…。「これが噂の…」と。『それでやってもらえませんか?』って話でして…。「なんでっ?」て思う気持ちはもちろんあったんですけれども、電話いただいたんだから受けない訳にはいかないだろうというのが当時の雰囲気でございました。それで、地区委員は7地区からの7名になります。その7名のうち1人が栄光会会長になって、もう一人が栄光会副会長になるという慣例がありました。それで、ある年の地区会を開催した後だったと思うんですけど、もう1回電話がありまして…

会長

なるほど。

理事長

で当時から今もずっといらっしゃる米田さん。米田さんは22期だったと思うんですが、その米田さんと2人でお話ししましょうということになり。そこで、何故か私が会長で米田さんが副会長ということになって、どういうわけか栄光会をその体制で3年間やらせていただくことになりました。

会長

そのときお子さんの学年は…

理事長

当時は、栄光会の副会長は、子供が高1のときに幹事を、栄光会会長の年には栄光学園の理事を1年だけやるという仕組みがありました。それが最初の繋がりになります。それで、栄光会の総会を行うときには、保護者に加えていろいろな方に出席にお声掛けをするのですが、そのときに「後援会の枠を取っておきなさい」と言われて、「なんだろうね、これ」って言ってたのを覚えているんです。それが“後援会”を初めて認識したときかなと。ですので、そのときは、全く後援会のことは知らなかった感じです。

会長

あとから見れば、接点はできていたけれども、真島さんとしては、認識というほどではなかった。その時点では。

理事長

そうですね。その後も栄光会の会長として、学園の理事となったときに、会には出ていたんですが、それも「行きなさい」って言われるので行くって感じで。ですので、あまり全然印象なかったです。

基本的に栄光会の会長・副会長をやると、基本的には評議員というのになるんです。評議員になりますと、評議委員会に出ることになるんです。それはそうなんですけど、その評議委員会は4月にあるんですが、その直後ですかね…。

会長

えっと、その時点では、あくまで栄光学園の評議員会の評議委員なんですね?後援会としての役職があってそこにいたというわけでは無いですよね?

理事長

ないんですよ。そこでなんですよ。2013年に同窓会の皆様にとってはよく名前が通っていると思います1期の徳永さんからお手紙をいただいて…。そこには、「後援会というものがある」と。で「お話がしたい」って書かれているんです。そのあとも、メールをくださって。先日、改めて当時のメールを見直したんですけど、丁度その時に海外出張をしておりまして、出張先から「返事が遅れて申し訳ございません」などのやり取りがありながら、最終的には、5月に大船の喫茶店で会いましょうということになって…。

会ってしまうと、「そういうことでよろしく」みたいな話で、副理事長を、となって。で副理事長になったのが2013年。

会長

えっ?!2013年に副理事長になる前には、後援会としての何かにはなってないんですか??

理事長

なってないんです。

会長

栄光会会長で評議員なっていただけで??

理事長

そうですそうです。

会長

しかも、評議員会には出ていなくて…。

理事長

そう、ある日突然お手紙頂いて。あまりに唐突ですよね。それについては、あとでお聞きした話なんですけど。本当は理事になる予定の方がいらしたそうなんですね。ただ、その方がちょっと体調崩されて。「それでは、菱沼さんに理事を」って流れが出てきたそうなんですね。ところが、その菱沼さんが同窓会の方の会長に、そうです山田会長の前の会長ということになってしまって…。

会長

そこの話に繋がるんですね。

理事長

そうなんですよ。それで菱沼さんがその時に同窓会会長にならなければ、私はやらなくて済んだのに…。

会長

なるほど~。そうだったんですね。いや、自分も同窓会に長いんで、その断片的には話は聞いているんです。ただ、断片的に聞いていたのはあくまで同窓会からの視点で。後援会からみると菱沼さんを同窓会に取られちゃたよ~…なんですね。

理事長

同窓会か後援会かっていう話になるといっぱいあるんですけど…。実は、ご存じかもとは思いますが、後援会の初代・2代目の理事長って、栄光の卒業生ではないんです。3代目の理事長にあの徳永さんがなられて。実は徳永さんはそこから40年間ですよね…。実は後援会が発足のとき徳永さんは関わられていたそうで。そもそも後援会を作りたいとフォス先生に呼ばれたのは徳永さんとの話を聞いておりました。それで、このインタビューを受けるってなりましたので、一応事実確認をしたくて、徳永さんに「発足当時のお話を」って少し教えていただきました。その話をさせていただいてよろしいですか?

会長

お願いします。

理事長

徳永さんのお話ですと、1977年に後援会が発足するのですが、その前の年の76年の夏にフォス先生が「ちょっと話があるから、徳永さん来なさい」ってホテルに呼び出されたそうなんですね。それがまた真夏で、道がすごく渋滞していて待ち合わせの時間に凄まじく遅れてしまって、そうしたら、フォス先生が凄まじく苦々しい顔をしておられたっていうのを今でも鮮明に覚えていると仰っておりました。徳永さんは、それ以来ずっと後援会との関係を持っておられて。最初からですので、徳永さんは本当に後援会をずっとここまでやってきてくださっている。

その相当な年月関わってこられた徳永さんからですね、もう栄光の特に同窓会で活動されている皆さんだと、容易に想像がつくと思うんです。あの徳永さんから直々にお手紙を頂いて、5月にお目にかかって「そういうことで」となってですよ。最初の理事会がその5月なんです。その理事会の場で、徳永さんから「では、ここ座ってください」って副理事長の席に座らされて、「それでは、理事会を始めます。真島さん、じゃあ司会をお願いします」ってなったんですよ。一回も理事会に出たことないのに、ですよ!

会長

それで、出たこともないのに、いきなり司会の進行をやらされ…

理事長

そう。理事会はこういう流れでやりますみたいな次第とかがあるわけでもなく、「そこに資料が置いてあるから」ってなりまして。そうすると、“これはこの資料の順番でやってけば良いのかな”って。っていうような話から始まりまして。私、今になってみれば何となくわかるんですけど、栄光学園って多分そういうところかな?実態はちょっとわからないですけど、想像なんですけどね、多分、栄光祭でも、体育祭でも、それこそ中学校のときから先輩や同期からとの運営の積み重ねがあって。例えば実行委員みたいなのに入ってきたときは、いきなり先輩から「もうわかるよね」っていうふうなかたちで…引き継ぐというか、はい、あとはよろしくというか。

会長

なんとなくそういう…。

理事長

雰囲気ありますよね。外から見ていてそう感じるので、多分そういうことだったんじゃないかって。だから私もそのときに「ああそういうところなんだな」って。

すいません。ここまでの話で、ようやく副理事長になったとこなんですけども…いいですかね。

会長

もちろんです。それで。

理事長

ありがとうございます。それで、5年間、副理事長やらせていただくことになるんです。その間には70周年の70周年事業の募金委員会っていうのがありました。時間がちょっと前後しますが、徳永さんは実は私に副理事長を2~3年してもらって、その後に…と思っていたようだったのですが、まあ70周年の募金委員会がいきなりというはさすがに、ということで、結果として5年間。私自身は徳永さんや皆さんの活動を間近で教えていただけて。それで、2018年から理事長やらせていただいてるっていう話になります。

会長

はい。ありがとうございます。あの仰る通りで、今日の対談でも、だいたいこういうシナリオで対談をしておこうかなと、一応作ってあったんですが…。まあ、大体はその通り……かな。それで、今、お話を聞いた中で実は驚いたのは、後援会って実はもっと前から本当はあるのかなと思っていたんですが、1977年なんですね。

理事長

はい。学園を資金的な部分で支えるってことが今後必要になってくるということで、フォス初代校長が考えられたことから始まっているんです。

会長

我々からしても、徳永先輩は1期の大レジェンドです。ある意味、真島さんから以上に我々から見る徳永さんは本当にレジェンドで。我々っていうのは同窓会の運営にかかわった人だけじゃなくて、1万2千人の会員すべてが認めるというか、今の同窓会の何かを紐解いていくと必ずたどり着いてしまうレジェンドの1人だなと。はい。徳永さんから言われれば、もう選択肢なしですかね~。

理事長

いや、そういうのじゃなくて。私自身はそういう先輩後輩とかではなくて、もっと単純に、徳永さんから直々に様々なことを教えていただくことが出来る機会をいただいたのは本当に有難いと思っています。それこそ、今日、こうして対談があるんですっていうことをメール差し上げると…、それは先週の話なんですけども、すぐに返事のメールくださって。そういうかたちで今も繋がっていただけて。私は卒業生じゃないにも関わらず、ですよ。しかもこうして、いまでも教えていただけるっていうのは本当に有難いなぁと。言葉を変えると、学園の素晴らしさっていうのを徳永さんから教えていただく中で感ずるというか、大事というか。

会長

私も実は理事の一人でして。先ほど話を伺うまでは、真島さんは理事で長くやられたうえで副理事長、理事長みたいになられたのかなと、思っていました。ちょっと新たな発見です。

それで、実際に副理事長をやられて、そして理事長をやられる。一方で、少しお話ありましたが、卒業生ではない中で後援会の理事長をやられている。そのあたりのお話をお聞かせ願えないでしょうか。もちろん、きっかけとしてはご子息が栄光生ということと思うんですけれども…

理事長

そうですね…。すこし、私自身の話からになるかもしれませんがいいですかね。

会長

もちろんです。

理事長

私自身は神奈川県立光陵高等学校の出身で、東京工業大学に入って博士号を取得して。その後は東芝に5年弱くらい勤めて東工大に助手として戻りました。今は教授をさせていただいております。こういう経歴ですけれども、私自身の親は、どうも私に中学受験をさせたかったようなんです…

会長

受験させたかった?

理事長

そうなんですよ。思い起こすと、小学生の高学年のころ、自分の親は明らかに、塾に行ってみないか、模擬試験をうけてみないかとか。で、「塾に行くのは嫌っ!」って言ったら「じゃあ模擬試験を受けてこい!」って。それは模擬試験の予約されたてしまったので仕方なく受けに行ったんですけど…。私、凄まじく自我強い子供で…

会長

自発的でないと嫌!?

理事長

まあ、う~ん、それで、ずーとこうしてきたんですが。今度は自分の子供がそういう年頃になってきたときに、いろいろと子供のことを考えるんですね。そのときに「この学校は良い学校だな」っていうのと、この学校に子供が入ったら、私が過ごした中学・高校とは違う、別の時間を過ごせるんじゃないかと。それで、うちの子供に「塾に行ってみないか」と。まあ結果として、全く同じことが起きて、我ながら嫌だった。

会長

お子さんの反応として、最初は「はっきり嫌だ」と。なるほど、それで…

理事長

で、「まずは塾だけは続けてみて、それでどうするか自分で決めたら」って。これ話すと子供に怒られちゃうかもしれない…。

会長

えっと、まあそれは…(編集次第?)…

理事長

まあそれが、5年生終わる頃になったら「受ける」って言ってきたんです。それで受けることになって、今となっては、お世話になって本当に良かったと。そんな感じですかね。

会長

何か5年生の時に心変わりが?

理事長

塾に行って。色々感じるものがあったんじゃないかなと思うんですよ。で、結果的には、間違いなくここでお世話になったことが息子の上層教育というか…。本当に良い影響を与えていただいたというか、要するに成長させていただいた。まあ、自分の時は嫌だって思ったことにもかかわらず、自分が出来なかったことを子供は経験出来て良かったなと。そうですね、複雑な気持ちとは違いますが…。自分が後援会に入ったこともあって、わかる気がするんですが、ご子息を栄光に入れたいと思う栄光卒の皆様が多々おられて。3代目までになっているという方もおられるらしい。それはすごくわかるなという気がします。

会長

すごいなと思うのは、後援会って、かなりの方が栄光の卒業生ではない御父母の方が中心の組織じゃないですか。なのに、これだけの時間を割いていることを含めて、栄光に対して。まあ愛がある。それって我々卒業生には正直わからない部分もあるはずなんですよね。それが、どういうところなのかなって。

理事長

いやぁ、私自身は逆に自分の子供を通じて、私の場合は後援会を通じてとか、普通よりは接点は多かったかも知れないんですけど。でも、自分が卒業生でなくても、自分の子供がやっぱり入ってここで教育を受けて良かったなって本当に思える学園なんですよね。なので、後援会の目的もありましたけども、学園の維持・発展に寄与すること、を手伝いたいと思うわけで。

会長

そうなんでしょうね。

理事長

で、「自分が出来ることであればやらせていただこう」っていう気持ちですかね。後援会としては、基本的に毎年1千万円を超えるくらいのお金を間接的あるいは直接的に寄付をさせていただく活動をしています、在学中の積み立て金を正しくお預かりする責任もある。なので、保護者から「それをやりなさいよ。あなたやってくださいな」って託されて、それに対して「はいっ」という感じですかね…

会長

我々、同窓会として色々とやっていて、我々の親睦もありますし、学園のためにとか、社会のために、ということはあるわけです。でも、そこには「卒業生だからやるのが当たり前じゃん」っていうのはあるんですね。6年間在籍して良い学校とは思うのと、色んなかたちで恩を受けていて。言い方変ですけども、割と直接的な恩義を感じているんです。それに対して、ご子息が良い学校出た、その6年間というのは、親として、実際近くで見ていた大人として、凄く良かったなと思っていただけているからってことなんですかね。

理事長

はい。おっしゃるとおりだと思います。だから自分は在籍できてなくても、自分の子供がこんなふうに素晴らしい環境で育てていただいたっていう、そのあたりは親の皆さんは実感できると思うんですよ。先ほど校長先生の新聞記事を拝見させていただいたんですけど、そこには「栄光学園では成績は特に順位とかそういうのはなくて、お互いに、何番?っていう関係性じゃなくて…」っていうことで。それで、少なくとも同じ期の皆さんの顔はわかってますよね?一学年が180名ほど。私は世代的には31期相当なんですけれども、あの~栄光生同士だと「何期?」だけで話が始めるじゃないですか。そういう学校って他にないと思うんですよ。少なくとも私が卒業した高校はそんな人間関係は形成されなかったです。

会長

まあ、色々な知り合いもそうですし、私も2人息子がいて栄光ではない私学に2人とも行ってたんですけど。在学中には結構色々あるんですけども、卒業後に親として関わる。正直そんなに多くないですね。そういう意味で言うとちょっと変わった学校だし、でもそこに魅力を感じてくださる人がきっと多いような特色もある。ある意味良い学校なんだなっていうのは何となく感じるんですけど。はい。

理事長

そうですね。なので、保護者の皆様が、未来栄光募金の話に対して応援してくださるというか、寄付をしようと思ってくださるのは、やっぱり自分は卒業生でなくても、子供を育ててもらった様々な経験に対しての感謝というか、そういう気持ちを思っていただけるかどうかなぁというふうに思います。

会長

今、お話の中で31期相当っていうお話がありました。私は真島理事長と初めてお話したのって、記憶が定かではないのですが、70周年の事業のときにお会いしたと思うんですけど。

理事長

はい。

会長

お話聞くとちょうど同世代ですので、お話もしやすくて色々と親しくさせていただいて。初めてお会いしたとき、真島理事長が、私がどんなに人間に見えていたかなって、実は色々と聞きたいんですけど。

理事長

ふっふっふっ。もう本当に。70周年事業の募金委員会が始まったのが2014年ですよね。で、2014年ってことは、その前の2013年の5月に理事会来なさい、評議委員会に来なさい、2月に理事会って。つまりまだ一周経験してないときに、ですよ!今度は募金委員会…。実は毎月…そう、1か月に1回ずつやっていたんですよね。

会長

70周年の、校舎を建てる時は、ほんとに毎月。やっていましたよね。

理事長

なので、私はあの時は、まだ右も左もわからなくて。で、栄光卒業生の皆様に対してなんとなく私は、「はぁ~、ちょっと怖いわ」って思う部分も多々あり。

会長

ちょっと、ちょっと、やっぱり?

理事長

それこそ、徳永さんに会っても1年もたってないし、菱沼さんは怖いし。その中で、山田さんだけが、なんか話してくださるなっていう感じで。いやぁ~、初めはすんごいしんどかったですね。

会長

そうなんですか?

理事長

えぇ。

会長

でも全然そういう風に見えなくて。

理事長

そこが私のいけないところで。私、思ったことを喋っちゃう。なので、あの当時、菱沼さんは「すっげ~うるせえやつだな」って思っていたと思うんですよ。

ただ、毎月だったおかげでね、菱沼さんにも、山田さんにも、徳永さんにも、お目にかかる機会になって。そこで皆さんがどういうお考えで、とかを接するにあたり、だんだんだんだん。それこそ菱沼さんにみ「あぁ、真島さんね」みたいになっていって。2017年だったと思うんです。私が新潟に出張して帰るとき、たまたま同じ新幹線に菱沼さんが…

会長

それは、奇遇ですが…

理事長

はい。それで菱沼さんが、私の姿を見つけて、わざわざ「あっ、真島さ~ん」って言ってくださったんですよ。あれはすっごく、その後も親切で。すごい幸せでしたね。ほんとうに幸せで。あぁ、(あの怖い気がした)菱沼さんもこんな風に、「あっ、真島さ~ん」って言ってくださるようになったんだなぁと。

会長

菱沼さんは、真島さんが理事も経ずに副理事長になったということは知っていたんですか?

理事長

もちろんご存知です。ちょうど私の入れ替わりで。そもそも、私の前の副理事長は、菱沼さんがでしたので。

会長

なるほど、そういうことですね。私はそれを全く知らなかったので。私の最初の印象は、徳永さんと一緒にいらっしゃる副理事長でした。で、年齢もわからないけど色々話を聞くとどうも近いらしいぞ。みたいな話になって。これはやっぱり真島さんと仲良くしよう。と。

理事長

そうやって話しかけていただいて、どれだけ私の気持ちが救われたか。

会長

というのも、私の立場も同窓会の副会長で、菱沼さんに一緒に来いって言われて出席していたわけですけど。まあ菱沼さんも13期上ですし、徳永さんは1期ですし。さらに、校長・副校長先生もいらして。

いや~敷居の高い会議で。まぁそうなんですけど、私もどちらかといえば、モノを言っちゃうたちみたいで。そしたら真島さんも結構言ってくださるんで。「良かった俺一人じゃないぞ」ってすごく安心したのを覚えています。

理事長

山田さんがすごい喋ってらっしゃるから、「あ、言っていいんだ」って。だから菱沼さんには、「何だ、こいつ」って思われたんじゃないかなぁ。

会長

多分、そんなことないと思いますよ。同窓会って、そういう段取り含めてアバウトなところがあるんで。むしろ若い人が色々言ってくれた方が先輩方が喜ぶというところがあって。自分の経験的には、そういう先輩が圧倒的に多い。後援会の中でOBはでない真島さんが色々とご意見を述べるということ、すごくみんなうれしいことと、取られてくれていたと思いますよ。なので、「なんてやつ!」って、菱沼さんも全く思ってなかったと思います。ただ、すごい怖いって感じるのは…、間違いない。

理事長

なので、あの3年間。毎月っていう。ほんとに、ありがたい機会だったなって思います。

会長

そうですね。あの3年間は私にとってもすごくありがたいお話で。冒頭で述べましたように、そもそも後援会がなんぞやと。正直よく知らなかった。あそこで毎月、真島さんとお会いして。当然、色々と話をして。後援会の事業の中でお金を集めなきゃいけないと。後援会の役割というのもよくわかりました。今は、私は同窓会長になって。真島さんは後援会の理事長になられて。

理事長

やっぱり、あそこがあったから色々と(楽しく?)やらせて頂いていて。

会長

間違いないですね~。

理事長

それこそ、同窓会の3つの目的の1つは、後援会の目的と全く一致しているので。後援会がとか同窓会がとかではなく、一緒に同じ方向に向かってって出来ることは、後援会にとっては、ありがたいことだと。それもあって、会長に加えて、もう一人、後援会の理事として同窓会からっていうことを同窓会とも相談させていただいて。来年度から同窓会から2名のご参加をいただけるということで。その時に、もうそれこそ、ガンガン同窓会のみなさんから色々とご意見を言って頂いてっていうことができたら。もちろん出来ることは限られているんですけど、その中でよりよい方向性を見いだしていけたらいいなと思います。

会長

だいぶ時間も、時間もあっという間に。あと、お話できれば頂きたいのは…、後援会の理事長になってでもいいですし、副理事長の時のイメージでもいいですし、保護者としてのイメージでもいいんですけれど、同窓会ってどうみえているかというのを伺いたいです。

理事長

あー、そういう意味では間違いなく、近づきがたい!近づきがたかったですね!

だって、私、やっぱり、栄光の卒業生っていうと、私の通った高校とは違う学校を卒業した人だよなぁって。

会長

まったくそんなことは、こちらからは考えたことないんですけどね~。近づきがたいイメージですか…

理事長

私はずっと感じていましたし、実際、今でもそれは感じます。だからこそというか、変な話ですけれども、もし、自分がこの学校に入れて頂くようなことができていたら、たぶん違う人生を歩んでいるかもしれないなと思うんですね。

会長

いわゆる個人、ご本人としてそういう思いがある。

理事長

そうですね。それと、ほんとに、同窓生ってすごい一体感じゃないですか。

会長

他の学校よりは、たしかにあるかもしれないですけど…。

理事長

ええ、だから逆に入り難いって。卒業生ではないと感じると思います。だから栄光祭とかね、同窓会とか、ほんとうに近づき難くって。70周年事業に、お邪魔するってなった時、なんかすごい居辛かったんですよ。ほんと。でも、それはやっぱり仕方ないと。

会長

そうすると、例えば、いま、後援会があって。理事の方がいらっしゃって。卒業生以外の理事・評議員会の方から見ると、同窓会ってそういう見え方になるんですか?

理事長

えぇ。でも逆に素晴らしい学校だというのも含めてですけど。

会長

例えば、先程お話があったように、来年度から後援会の理事に、同窓会の会長や副会長が加わるという形になるんですけど。同窓会では…とか発言しちゃうと、圧力っぽくなっちゃうのかなと。

理事長

それは全くないです。全くないというのはどういうことかというと、もう分かっているから。わかっていますっていうことで、何にも気にしないというか。なんていえばいいんでしょうね。「自分とは違う学校を出てるんだよなぁ」って。違う学校というか、違う素晴らしい学校を卒業されているんだよなぁ。っていう割り切りですかね…。

会長

そのフォス先生の教えもですが、結構、栄光って保護者の方、ご親族とか関係者の方も含めて、栄光ファミリーだし。もうちょっと広げてしまうと、姉妹校4校って、同じ普遍的な価値観持っているって感じていて。姉妹校出身の、全然知らない人と初めてお会いしても、お話がポンポンと弾んでしまうところがあって。6年間子供が通学したことで、価値観が逆輸入的に御父母の方にも入っているのかな、と思うんですけど…

理事長

それは、間違いないと思います。まず、情操教育ですよね。その情操教育で、自分の子供が、こう育ったっていう。もう一つ。人生における、友人であり、先輩であり、後輩でありっていうものを持つことができる。そこから感じるものっていうのはすごくあると思うんですよ。それがこの素晴らしさなんじゃないかと思います。

会長

なかなか中にいるとわからない。私個人は、6年間世話になって、その恩義を感じつつ。

そうはいっても卒業生だし。で、同窓会の運営にかかわることを長くやっていると、外から見た目って全然わからなくなってるんです。だから、後援会の方に、特に卒業生でない方に、色々とお話を聞いたりすると、「あぁ、そういう風なんだな」って改めて思うことがいっぱいあって。

理事長

同窓会はそれでも認識されているからいいですよね。後援会は、認識もされないというのもありますから。あと、もう一つは、同窓生が何期?ですぐに話せる土壌は、やっぱり6年間の教育を受けてきた奮闘。そこに共通の何かがあるからだと思うんです。だから中学・高校のかけがえのない6年間というのは、人をそのように成長させるんだなと思います。

会長

はい。では最後の質問になりますが、後援会は、今後どのような形で、方向性で活動していくつもりなのか、簡単にご紹介頂ければ。

理事長

まずは、お子さんが通われている間、ご家庭からお金をお預かりして、ご卒業となるときに、ご入会いただくということは間違いなく続けさせていくと思います。あと、未来栄光募金へのお声がけも、御父母の皆様にお声掛けさせていただくのと同時に、どうやったら1人でも多くの人にご賛同いただけるか。12月に後援会だよりを出すときに同封させていただいていて。去年の12月で2回目なんですが、300件で400万円くらいのご寄付を御父母の皆様からいただいていて。ですので、1年に1回ですけど後援会だよりを発送するときには、ご子息が卒業したこの学園について、後援会を通して、お気持ちを上手く活かすことができますよということを、どうやったら後援会会員の皆様にちゃんと届けられるかっということを真面目に1つずつやっていこうと。

会長

あと、今は964人の卒業生の会員の数もですかね…

理事長

あと、未来栄光募金は控除が効きますので。ふるさと納税は…っていうような方いらっしゃると思うんですけど。もちろん返礼品とかね。でも、返礼品じゃなくて10年後の未来というか…そんな感じに思っていただけたら良いなと。

会長

なるほど。

理事長

って思っております。未来栄光募金は確実に、栄光学園に戻っていますから。なので違う寄付の形態として学校へ返せる形として1年に1回くる後援会っていう。そういう意味で同窓会のように思っていただけると大変有難いです。結果として学園に寄与することになることは間違いございません。はい。

会長

ありがとうございました。同窓会の会員になるのは、ある意味自分達の会なんで当たり前だし自分達のためっていうのが正直なところだし。事業についても親睦のようなところがかなり大きいと。でも、我々も、栄光学園を卒業して、ありがたいことにご飯を食べていけている。その中で、その学園に対して貢献をしなきゃいけないなぁというか。同窓会の活動として貢献するということもありますけども…。逆に後援会の会員になって貢献をしていくことも非常に重要なことだと思います。そこは今後連携を是非お願いします。

理事長

で、一応重要なところなので、もう一回言ってしまいますが。入会していただいたら、入会金は3万円ですけれど、それ以降1円も回収いたしません。ですので、生涯で1回、3万円いただいたら、ずっーと後援会だよりは届きます。

会長

ありがとうございます。最後に本当にざっくばらんに…、同窓会へのご意見など望まれることがあれば何か、お願いできますか。

理事長

そういう意味では、あの70周年事業募金会で良いかたちで繋がりが持てたということは有難いことでした。で、このような関係性はですね、是非ともこれからも繋げていきたいと後援会も思っています。同窓会の方も、まずは後援会??みたいなところから入っていただいて。そういうのがあるんだなって認識いただいて。そして、学園に対して一緒の思いを持って、寄与につながる活動をやらせていただきたいと思っております。

会長

最後になりますが、この数年本当にコロナでですね、会長対談が途切れていたんです。その中で、真島理事長には一度、対談をお願いしたいなって思っていたんです。今日も話に出てきました徳永前理事長には、対談をさせていただいてるんです。とはいっても、同窓会の会員としてのですかね。やはり徳永さんは1期の先輩という位置づけが強いすよね。そうすると、後援会の存在を同窓会の会員の皆様に知っていただくには真島理事長のお話を、ということでこの機会となりました。本日の対談は、同窓会のホームページですとか、同窓会誌で商会せていただくことになると思います。そうして、同窓会の会員に「ああ、後援会こういうのなんだ」って、是非理解を深めてもらいたいなと思います。

理事長

よろしくお願いいたします。

会長

本日は、本当にどうもありがとうございました。

理事長

ありがとうございましたー。