ホーム活動報告・会報記事アーカイブ事業田浦時代の思い出 ~懐かしい田浦時代~

アーカイブ事業田浦時代の思い出 ~懐かしい田浦時代~

多感な成長期に多くのことを学び、眼を開く機会を与えた頂いた先生への感謝の思い出である。
世界史の當眞先生の授業では、「年号のテスト」が行われることが常だった。小さな紙片の答案用紙は今でも懐かしい。「この出来事は、歴史上極めて意義がある」と繰り返されていたので、何かと機会があれば借用させて頂いた。鎌倉美術館での「唐三彩」の写生を通し「歴史と文化」との関係も自ずと学んだ。歴史への興味を持たせて頂いた恩師である。
音楽の酒井先生の思い出は、嬉しさと恥ずかしさが混じっている。クラスで二部合唱をする時のこと。高音に手を挙げる人が多く、何となく低音グループとなった。耳を澄ませていた酒井先生が私に近づき、「君は外れろ」と席に戻された。クラス全員が見ている中、「穴があったら入りたい」というのは、この時の気持ちである。低音というのは高音を低く歌えばいいのだろうと、思い込んでいたのだからムリもない。その後、何かのキッカケで、友人数人とコーラスをした時、先生から「素晴らしい」と絶賛された。嬉しかった。
歴史か音楽の先生になりたいと夢見たのは、中学生の頃だったろうか。
体育担当の室北先生はバレー部初代部長で熱血漢、練習時には一緒に汗を流した。スポーツとは全く無縁であった第二代部長の金子先生は真面目な性格、練習に試合に必ず顔を出された。私たちの相談事にも快く応じて頂いた。日本史の授業では仏像の写真を見せながら、「古拙的笑い」という興味深い表現をされながらの説明が印象に残る。歴史が好きになってきたことも手伝って、卒業後も何かとご縁があった。主催された「歴史散歩」には何度かお誘いをうけたがとうとう参加出来ず、今でも申し訳ない思いで一杯である。遠足で披露されるフォス校長、ヘルベック先生、シュトルテ先生の「海賊の歌」は迫力充分で皆が盛り上がった。その歌声はいまでもどこからか聞こえてくるような気がする。三人の先生からは時折り呼ばれて、「ケア(国際ケア機構)物資」「ララ(アジア救済連盟)物資」を優しく声を掛けられながら頂いた。戦後復興期の一コマである。
競歩会、体育祭、「手のひら野球」などなど思い出は尽きない。

中村 厚 (2期)