寄稿・投稿マン島とマン語

マン島はイングランドとアイルランドの中間に浮かぶ島で、長さ50㎞、幅20㎞のサツマイモの形をしている。英領であるが、通貨や切手は独自のものが使われており、紙幣とコインも英国とは異なっている。
マン島はオートバイレースが行われており、一時「ホンダ」が優勝を続けたため、日本でも知られるようになった。
島には固有の動物として、尾の無いマン島猫(Manxcat)と4本の長い角を持つ羊(Four horned longhorn Sheep)がいる。羊の角は太く大きいので、頭がかなり重そうである。
港では船が幾隻も、干上がった泥の上で傾いていた。干満の差が5mもあるので、港に入る船は注意しなければならない。
島はなだらかな田園地帯とともに麦畠が続き、羊が放牧されている。島の最高点は620mのスナフェル(Snaefell)である。
南のキャッスルタウンには城があった。小さい城だが、屋根の上や城壁の上を歩けるようになっていた。
海沿いにフットパスが続いており、海を眺めながら散歩が愉しめる。
マン島博物館で、マン島の歴史(Story of Man)を見て館内にある遺跡や、マン語の会話を映像とテープで体験した。島の農業や漁業、魚の燻製工程、燃料にする泥炭(turf)のの掘削法、伝統的な農家の暮らしなどを展示していた。
港町のピールの民俗博物館では、ケルトやバイキングの暮らしをジオラマで解説していた。
南端のポートエリンは海辺に瀟洒(しょうしゃ)な家々が並んでいる。砂浜が続きホテルが幾つかあり、夏のリゾート地といった趣きがある。左手の岬には海洋生物センターがあり、帆立貝の養殖について研究をしていた。
マン島はマン語の地名が多く、ラムジー(Ramsey)は野生のニンニクのある川(wild garlic river)の意であり、ラグジー(Laxey)は鮭のいる川(salmon river)の意である。
島の中央に円形の土を盛り上げた壇がある。9世紀にケルトの議会が開かれた場所であり、セントジョーンズタウン(St John’s Town)と呼ばれている。Townの原義は柵で囲まれた処である。今日でも年に一度、古代の会議を模した式典が行われている。
マン語はケルト語の一種であり、13~15世紀にアイルランド語やスコットランド語より分かれたが、19世紀より衰退して行った。
1874年には人口5万4千人中30%の16,200人、1901年には人口5万5千人中8.1%の4,400人がマン語を話していたが、1951年には0.5%の278人に減少してしまった。マン語の最後の話者Ned Maddrellは1974年に没した。
その後、民族意識の高揚とともにマン語再生運動が生じ、マン語協会が創立されてマン語研究者による再興運動が始められた。マン語話者は2015年には人口8万8千人中2%の1,800人まで増加している。現在マン語に因む名前が好まれており、Mairrey(英 Mary)、Iliiam(英 William)、Breeshey(英 Bridget)、Eam(英 Jhon)、Pherick(英Patrik)などの名前が用いられている。マン島のケルト名はMannin(マニン)またはVannin(バニン)であり、マン語はgailek vanninagh (マン人のゲール語の意味)またはghengey ny mayrey(母の言葉の意味)と呼ばれている。英語ではManx gaelicまたはManxがマン語およびマン人を表わす言葉であり、マン島はthe Isle of Manと呼ばれている。

池添 博彦 (8期)