2025年11月1日(土)、28期生の同期会が横浜・中華街の廣東飯店で開かれました。コロナ禍で中断していた年1回の宴も23年から復活、参加予定者36人のうちのほぼ全員が、インバウンド観光客でごった返す中華街大通りに面した会場に定刻の17時前に無事たどり着いた時点で、幹事6名の最大の心配は消えました。というのも昨年まで横浜駅西口のHOTEL PLUMMが長きにわたって会場として定着しており、中華街での開催は、わたしの記憶にないぐらい久しぶりだったためです。さらに言えば、28期生は高2の秋に高松山の麓で行われた「歩く大会」において開始から間もなく道に迷い、100名近くがスタート地点に引き返すという、迷える子羊の記憶が染みついているからです。
幕開けは迫先生のご挨拶と乾杯の音頭。「歳をとると話が長くなりがちでねえ」と自らを戒めながら、背筋をまっすぐ伸ばしたいつもの姿勢で、持ち時間をたっぷり使って近況をお話くださいました。続いて栄光で化学を教える同期の高田暁先生から「栄光に女性の先生は何人いるでしょう?」といったクイズ形式で栄光の今を教えてもらい、同窓会事務局副会長を務める同期の高橋英治さんから未来EIKO募金や会費についての説明がありました。
ここで在校中の「EIKOニュースフラッシュ」(校内新聞)が会場内のモニターに映し出されました。1974年3月19日号の見出しは「山岳部精神よ 永遠に」。部長のシュトルテ先生が還暦になったことが理由とのことで、すでに還暦を超えた身として一同半世紀の時の流れを感じました。78年11月20日号には、先ほどふれた珍事が「史上初の迷う大会」として取り上げられています、写真のキャプションは「奮闘する二十八期」。どう見ても正規ルートとは思えない崖を必死に登っていく姿が笑えます(この件は長らく「間抜けな28期」という自虐ネタでしたが、記事では「急遽取り付けた道標の矢印がずれていたのが原因」と、準備に奔走された先生側がミスを認めていらっしゃいました。清く正しく美しいEIKOスピリットを思い出しました)。
第2部は、アラムナイ104号で夕陽に輝く校舎の写真を撮影された飯野先生のご挨拶で始まりました。すると「e3」という謎の文字がスクリーンに。E=mc2的なお話かと身構えていると、「いいのさんじょう」⇒「飯野参上」と画面が変わり、静かな口調で「おやじギャグが好きなもので」と知られざる一面を披露されました。続いては久しぶりの参加者を中心に近況報告となりましたが、最後に思いもよらない人から、近々カトリックの洗礼を受けるという衝撃的な発表もありました。締めのご挨拶で金子先生は「そんなに毎年報告できるようなことはないよ」とおっしゃりつつ、新校舎建設の際の裏話なども聞かせていただきました。肩を組んでのEiko High Forever でお開き。来年の幹事を無事決めた後、全体写真を会場の方にお願いして散会となりました。
藤野 啓介 (28期)
